Stevie Wonder
"Innervisions"
  • All is Fair in Love (全ての人は恋愛の前で平等)
  • All in Love is Fair (恋愛における全ての事実は等価)
[2001/07]

19の初めの頃、彼のBestを買った。"Lately"の元歌は淡々としていた。K-ciが叫んでたのとかなり違ってた。
K-ciとJoJoが歌ったMTV-UPtownアンプラグドは未だに良く覚えてる。あれは自分がR&Bに引き返せない地点までハマルきっかけになった曲の1つだから。

その曲がStevie Wonderのカバーという事は知ってた。だからこそ、まずベストアルバムを買ったけど、淡々と歌うLatelyの方が恐ろしかった。吼えまわるK-ciよりも底にいると思ったから。これがStevieの隠れ名曲になるのは良く分った。
けど、あのBestのトータルの印象はそこまでじゃなかった。何やかんやで1番分かり易い"For Your Love"がイメージの中心になってたから。

本作:Innervisionsは音楽友達でもあるナッツに勧められて聴いた。一曲目からオイオイって思った。「めちゃくちゃ若いじゃん」って。何よりもクリティカルな痛みが見えてたから。馬鹿みたいにコンテンポラリーに拘る自分だけど、古さを感じさせない曲はStevie Wonderとの距離を一気に縮めてくれたと思う。

"All in love is fair"と"Golden Lady"が特にゆさぶられる。 これがあのBESTに入ってないのも、、、必然だと思う。それに、このアルバムの中とBestの中じゃ "Living for the City"の印象が全く違う。 そう思うと「Bestっていいのかな?」って思う。Bestといっても、売れた聴きやすい曲を並べただけでは、本当のBestでなくなってしまう気もする。 本当に本人の核の部分はBestからはみ出てしまうと思う。結局の所で、

どうしてもはみ出る部分を、どうしても入れようとする苦悩と衝動がひとの核なのだ
これを聞きながらフッと思った。それは、《ふたりのあいだ》であっても同じなのかもしれない、 と。

中学時代を振り返る。  確かにイノセンスというにはもう無理があったけど、 あの頃は音楽に対してはイノセンスだった。 そこから歳を取るごとに下手な達観ばっかり増える気がするけれど、 それを押しのけるぐらいの何かを見つけているといえるのなら、歳をとる価値があるのだろうか?

[All is Fair in Love]と[All in Love is Fair]を。両者が繋がってる事。それを取りだして見せてくれてる事。

壱を突き詰めてた果てにあるものだけが、真の包み込むものであって、適度に平均取ると1番腐った物が出てくると思う。 それは当然顔して勝手にラインを引く。そして、その上になった人を傲慢にさせ、その下になった人を悲しませ、結局は誰も幸せにしないと思う。そういえば自分も色々傲慢になって、そして色々悲しんでた。そう気づいたあの時以来、色んな選択肢が無くなった。あんま他の娯楽から離れていったと思う。けど、しょうがない。悔いも無い。何もかもが無くなっても、この曲があるから。

このアルバムはBrian Mcknightの1stに近いと思う。マクナイトはそこで、「水が退いた後に拾いに行っても、大事なものは流されている」と言わんばかりに、終わりの予感の時点からガンガンに突き詰めにいってる。それはやっぱり彼はAll in Love is Fairと認識しているからだと思う。そんな姿には中学の頃から惹かれてた。何一つ説明出来なかったけど、One Last Cryを撮ったビデオカセットはすり切れる位に見てたから。
けど、今思う。Brian McknightはAll is Fair in Loveという程のものを見せた事はないと。もっと手前で楽してると思っちゃう。それは彼の全作品を聴きこめば見えてくる事。マクナイトは女性からクリティカルな痛みを受けた事が無いと思うな、、、


昔の歌を聴くのは、あまりすすまない。上手く言えないけど、、、試行錯誤を見たいから。伴っていく限り、自分から探すべきだと思うから。 昔の事は昔の事だと思うから。時代の雰囲気が違うから。けど、Innervisionsは確かに普遍性がある。R&Bの精神性なんてもう殆ど見たと思ってた23歳の自分に、衝撃だった。


悲しみとは、過去に対するベクトルが未来さえも覆ってしまう事 
「時間と自由」 ベルクソン著
なんで、この本に辿り着いたか、もう忘れた。大学の初期の頃の乱読してたらここまで来た。本の巻頭には夏目漱石も中原中也も気に入ってたと書いてあった。そう思うとかなりの古い人だね。 この二人はどうしようもないほどに有名なのに、ベルクソンは日本であんまり有名じゃないね。

この本はかなり難しかったから、幾度と無く線を引っ張りながら読んだ。何度読み返したかも分らないのに、未だ分らない所が多い。 けど、この言葉はすっごく訴えかける力がある。最初から引っ張られ、これが在るからこそ何度もアタックしたのだと思う。もちろん、この言葉を実感できてもやっぱり悲しいものは悲しい。けれど、それが分ると、その悲しさは自分の死角まで連れていってくれる気がする

過去の事なんだよね。どうみても。けど、未来が萎んでる。
ひとって、どうしてもそう思ってしまうぐらい、それぞれに死角がある。死角の語感が良くなければ、"自分じゃどうしようもない点"って言ってもいい。 好きになる程に上手く動けない自分を、相手の事を受けとめれない自分を見せつけられる。そして、 終ったとしても、この先自分は何も変わらないんじゃないかと思ってしまう。 そんなふさがった未来。

自分の中にどうにもならない点があるなんて、昔は認めたくなかった。不器用なんて中傷の対象でしかないと思ってた。だから、どこまでもCoolなフリしてた。それに疲れて、家でR&Bを聴いてたのだと思う。やっぱり、R&Bこそが、そんな想いを汲んでくれたから。けど、今やっと認めれるようになってきた。そこにこそ自分らしさと、その先に優しさがある事が分ってきた。 だから、死角がいつか資格になる事を目指して、いきたいな。

ずっと今まで、何をしても繰り返すのだけは怖かった。 繰り返さないのだとしたら、どんな事になっても最後の勇気だけは失わないと信じてた。けど、最近自分の死角を思う。 丸くない。 いろいろとんがってる。こんな事をやってると余計とんがる気もする。 もうそんな歳じゃないのに。

けど、何かを掴めそうな気がして、、、一つ惹かれて、一つ発見し、一つ謎が出来て、、、
その繰り返しが自分にとってのR&B


そういえば、昔、「この世に客観が存在するのか?」で凄く悩んでた。 それは他人の主観だと言い切りたかった。 自分の主観と他人の主観がぶつかるのなら、自分の主観を取った。自分に責任を持つのは自分でしかないのだから。 こおいう事は色々な軋轢を生むけれど、 そう言わないと出てこない場所がある。 そしてそこしか残ってない時も。 あの頃は何にも負けないつもりだった。けど、結局、自分は全てに負けてた。それを最近よく思う。

そんな自分も一瞬だけ、光を掴まえれる時がある。ガンガンに底に潜っていくと、ある地点をもって、上に湧き上がる水流に乗れたと思える瞬間が。二十歳の直前、「喜びも悲しみも心の震えという事実において等価」と思えた。恋愛において生じた事実の全ては透明で、その時の自分の感情が色をつけるのだと。今これだけ痛いのだとしても、いつかそれを透明にまで持っていけるのだと。

マクナイトの処女作を買ったのはそれから10ヵ月後。聴いた時から彼が何をしたいのか良く分った。全部重ねる事が出来た。それ以来、R&Bの精神性は全部見たと思ってた。だから、このアルバムを聴いた時は辛かったな。やっぱり、あの頃の自分は、All is Fair in Loveを実感した事は無かったから。そもそも単に自分がアホだっただけの話だった。直観と仮説といい訳を重ねて、誰の手にも負えない話になってた。だからこそ、ガンガンに突き詰めれたのだから。

結局、All is Fair in Loveを実感したのは、それから1年後だった。あれ以来、色々あったけど、答えを見つける度に偉そうな態度になった自分は、ずっと相手を待てなかったし、いつも何処かでテストしてた。やっとStepを作るのを見付けても、ずっと相手の今を認めれなかった。その結果が目の前にある。

やっぱり自分はここから歩き直しだね。


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