|
|||||||||||||||||||||||||||||||||
戻る場所もなく 街を彷徨う 男になるな | |||||||||||||||||||||||||||||||||
[2005/07/18]
「ガラス越しのキス」ってのがあるのは本だかテレビだかで、昔から知ってた。そのシーンも見た気がする。それ以来ずっと、愛情表現としては、ガラス越しのキスが一番と思ってた。けど、この「壁を挟んでおでこを重ねる」方が上だと思う。 何故かって? お互い好きな二人がFed Upにならないために一番必要なのは、お互いの生き方/価値観を合わせていく事だから。ならば、唇よりおでこを重ねた方がいいと思う。これを見て以来、結婚式はキスじゃなくておでこを重ねた方がいいと思ってるから、僕は余計に変人になってしまった気もする。けどね、このVCが伝えるモノを突き詰めると、それだけがリスナー側の答えの気もしてて 男と女の理解の形 本当の所で男と女が理解しあえるのか、それは分らない。ガラスでなくぶ厚い壁に隔てられてるのが、R Kellyの達観なのかもしれない。キスは想いによってなされるけど、理解は何でなされるのだろう? これを見てから7年経ったけど、それが本当の所で全く分ってない。 このVCを見たことで、本当に寿命が延びたのかは分らない。「続いていたらこのHPは作ってなかった」という言葉で濁す態度のおかしさも。ただ、二十歳に見れた事は言葉に出来ないほど感謝してる。ここはあくまでR KellyのVCのための空間だけど、歌手としての全てをかなぐり捨てて、Rを、そしてWhen Woman's Fed Upを届けてくれた彼に対して、、同じだけアホな二十歳の男に対して一言だけ。 もし相手に言いたい事があるとしても、半分を言って、残った中の半分に気づいてくれる人を探すべきだ。 結局伝わるのは最初の8割に満たないけど、それ以上は人に望んでいい事じゃない。 VCはこちら |
|||||||||||||||||||||||||||||||||
[2009/11] 「相手に愛想を尽かされる&相手の今を考えるとpickin' me apartになる」状況を明確に歌っているのは、本作と、SteiveのLatelyだけの気がする。特に積み重なった後悔と反省がメインの曲になると、この2曲しかないんじゃないかという気もしてくる。相手を非難したり、悲しいと叫ぶだけの曲ならゴマンとあるのだけど。 あの曲もmany wishがポイントになっているけど、やっぱり「ああして欲しい、こうして欲しい」の羅列こそが、恋愛を息苦しくさせていくと思うんだよね。もちろん自分自身を横に置いて相手にあれこれ望むのが問題外としても、重要なのは「俺はこうだから、お前もこうして欲しい」なんだよね。「付き合う中でお互いが人間的に成長するような関係」がベストなのは誰もが認めるが、それを間違った方向から追いかけると、相手への強制になる。ってもちろん、これは親子関係にも当てはまるんだよね。「俺と同じレベルの大学/会社に入れ」という親が一番子育てに失敗するもんだから。 そんな意味では、恋愛におけるwishの極地はこちらに書いたように 相手が好きと言ってくれる事で可能になる文句は、全て間違っている だけれども、これは突き詰めると、ALL0と同じだと思うんだよね。いくら客観的に直した方が良い事であっても、見知らずの人には言わないでしょう。だから、この態度で接するならば、言いたい事が10あっても、相手に言えるのは0か多くて1でしかない。 そんな意味では、以前に書いた「残った中の半分」ってのは、ギリギリのMAXなんだよね。このラインを守れないなら、絶対に恋愛関係は崩れると断言できるけど、このラインを守れば上手く行く保障はない。だから、あの当時のコメントは不十分でした。それを痛感して、今回書くことにした。 本当は上記に書いたように「恋愛関係を前提とする文句は全て間違っている」こそがあるべき態度だが、これは「右の頬を殴られたら左の頬を差し出しなさい」と同じ位の難しさがある。 ここまで踏まえた上で、改めてmany wishな男の子へアドバイス。 many wishである限り必ず別れるし、まともな男であれば別れた後に自身の愚かさに気づく。そしたらmany wishの分だけ引きずる事になる。引きずるのは過去の愛から生まれるのでなく、あの頃の愚かさと今の反省から生まれるのだから。ここまでがこの世の真理です。そこまで分かった上で、このR KellyのWWFUにような状態になりたくないのなら、突き詰めるべきは、相手へのwishの正しい量でなく「俺はこうだから」の方じゃないかな。 あの当時の自分もそうだったけど、全部自分の実力で達成したと思ってたんだよね。それが一番愚かな視点だったと、今はハッキリと言える。もし仮にR Kellyが、高校時代の音楽の先生の事を忘れて、全てを自身の実力だけで成功したと思っているのなら、それこそが一番愚かな視点の気がするから。「自分の目の前に、自分の努力で切り開ける道が広がっている」と思えるのが、実は一番の幸せで、そんな状態にまで持っていく事だけが、本当の意味で周囲が出来る事であって、それら全てを自力で準備したと思うのが一番の愚かさなんだね。 きっと自分は同じように愚かだったからこそ、あの頃、この曲にあれだけ惹かれたし、それでも気づけなくて此処まで来たんだと、やっと分かった。先日、出張で久しぶりに来てたけど、あの時良く見た風景は、この事実を痛感させてくれる程に、今でも痛かった。 |