Tommy Sims
《拘る》ことに《拘って》、僕らは何処に行くのだろう?
[2001/06/03]

しょっぱなから嘘をついてしまった。自己言及的なメタな概念は「恋に恋する」位しか無いと書いていた。
やっぱり自分がどっぷり浸かっている事って見えない。けど、Stieve Wonderの"Innervisions"を聞いて、いろいろ思って、最近やっと気付いた。銀行で待っている時に何気にめくってたら、梅宮アンナも書いていた。「最初の2年以外は、彼(羽賀)の事の逆に意地になっちゃった」って。

どんな人も、やっぱりあるのかもね。拘る事に拘っちゃう事は。
そう言えば思いついたようにR&Bしか聞かないと決めてから、もうずいぶん年数が経ったけど、自分の視野は確実に狭くなっただろうなぁ。やっぱり意地になってるのかなぁ。それを直そうと思った時は、今までに2,3度会った。けど、そんな時ほどアーティストの新たな側面を見つけれて、今まで来ている。最初に1度決めてから、ずっと来たにしては、1度も後悔してない。この分野を選んで本当に幸せだったと思う。

幸福な出会いと、その後の試行錯誤
結局の所で、それだけでしかないと思う


けど、コダワリにはいい拘り悪い拘りがあると思う。拘りが後ろ向きになった時点で、それは何も生まないと思う。今までを振り返っても、そう思う。目の前に拘りを置く事。それは凄く大事な事だと思う。いつも順風快晴な訳じゃ無いのだから。その時に支えてくれる物は前向きな拘りしかないと思う。けど、悪い拘りってやっぱり存在する。「俺のせいじゃない、あいつのせいだ」って言いつづける時点で本人は悪いと思ってない。けど、それはやっぱり悪い拘りだよね。

じゃあ、一体何で見分ければいいのだろう。意地を張ることは悪い事じゃない。けど、生産的じゃ無い事と生産的な事の差は歴然とあると思う。久々に不器用に拘ってるTommy Simsのアルバムを聞きながら、考える。いい歌だと思う。寛ぎもあって、おかしさもあって、突き詰めもあって。けど、彼はこの先に行き場所が無い気もする。

彼のアドレスを見る。確かに自分は、そのHPにアクセスしたいとも思う。けど、それは何かしらの緊張関係を壊してしまう気もする。彼が誠実であるのは間違い無い。だから、自分も含めて彼と志向性が近い人はどうしても気に入るし、揺さぶられると思うし、特にその感覚に勇気付けられると思う。

このアルバムはある種の勇気をくれる。それは間違い無い。
拘る事に拘って先を見つける人もいれば、先がふさがれる人もいる。それは事実。一体自分はどっちなのだろう?と思う。何を持ってその見極めをつければいいのだろう?素直に書けば、僕は未だに迷ってる。
Tommy Simsは自身の志向性に拘っているだけだと、思う。このアルバムを聴く度にそう実感する。だから、彼の先は塞がれてない。 "Change the World"が彼の作品の中では、ダントツに有名なんだろうが、 このアルバムの曲はそれ以上でしょう。 こんなアルバム作って馬鹿だなーと思う。それに色気がない。だから売れない。もうちょっと、女性をチョロマカス事でも考えた方がいいじゃないかと思ってしまうが、絶対に出来ないだろうね、彼は。馬鹿だなぁ、そんなの三つぐらい譲れば出来るよ って思う。 けど、それだけ譲ったら自分じゃなくなるという彼の意見の方がやっぱり好き 。



彼の歳ぐらいになると、もう今更フェーズを変えるのはかなりのしんどさがあるだろう。それ自体も本人は分っていると思うな。

色々な選択を積み重ねて此処に来た。
一つ一つはやり直せるかもしれないが、全体としてはやり直せない。
そんな、どうしようもなさが漂ってる。


けど、彼はその塞がった状態を、このアルバムによって突破してると思うから。けど、現実は彼についてきてない。彼はこれからも良曲を提供する裏方の立場のままだろう、とも思ってしまう。 それも見据えたからこその、この完成度かな? 少なくとも、自分はこのアルバムは無人島に持ってくリストに入れます。


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