Sisqo
自ら幅を狭めて、スペースを作ったか?
[2001/07/04]

どの雑誌だったかなぁ、「テレビで3人だけで登場して、「グループは大丈夫」って言ってたSisqoの姿が印象的だった」って書いてあった。その文章見て、そのSisqoの姿が浮かんでくるようだった。やっぱり、彼ってそう言う奴なんだよね。

いい奴過ぎる面がある
雑誌でインタビューを見た。新しいSisqoというのを強調してた。もうDru Hillの頃じゃないって。けど、Sisqo、君が1番目立っていたんだから、君はそんなのを強調する必要は無いじゃん。あれを読んでいて、自分は逆のことを思った。そんな視線が、彼にぴったりだと昔気づいたから。Sisqoの少し度が過ぎるいい奴さ加減を・・・
今回のアルバムの何が気に入らないかって、歌とSisqoの距離なんだよね。それがどうしても遠い気がする。だから、どうしても馴染めない。けど、本人も分っていると思った。

Dru Hillの事はコメントが無かった。触れない状態になっている気がした。Dru Hillのグループとしての不備を一つだけ挙げれば、逆サイド担当がいなかった事かな、、確かにJazzとの2Topだった。曲はNokioが作ってた。けど、もっと根本的な部分で、Sisqoよりやんちゃな奴も、Sisqoよりもナイーブな奴もいなかった。役割分担が出来てたJodeciとは、そこが違うと思う。何より残りのメンバーがSisqoの幅の中に収まってた。そこが、1番問題だったのだと、このアルバムを聴いて思った。Sisqoの髪の色が黒に戻った事も、アルバムを聴いて納得した。あの頃、髪の色で表現してたモノが、アルバムに移っている。


どこかで、わざとらしい。それも嫌らしくなく。そのわざとらしさには親近感を覚えるや
だって、彼ほど自分らしさを強調しなくても伝わる人はいないでしょう。天性のレベル。
それが、自分らしさを強調する事に四苦八苦してるんだもん。ホント、おかしいよ。
だから思う。それは天性じゃないんだって。

天性じゃないからこそ、彼は深みがあるんじゃないの?
というより、幼い頃はおとなしいナイーブな少年だったと思う。それが、曲を聴いてると、たまに見え隠れする。 けど一般的なSisqo像はそうじゃない。 もっとやんちゃで明るい。 それが今の彼にもフィットしてる。けど、どうしてもそっちの彼に目がいっちゃうんだよね、曲を聴く度に
[2001/07/13]

もう1度、丁寧に聴き直した。根本的に音が大げさだと思う。Sisqoのシャウトより目立ってる。それは無しでしょう。だから、口直しに前作を聴く。やっぱり違うなぁ、、、例えば、"Thong Song"にしても、アルバムの中では"So Sexual"と"Imcomplete"に挟まれて、、そこまでドキツイ色使いな訳じゃない。Sisqoの持つ表情のひとつとして、自然にある感じだった。歌う口調もシングルカットの時とは異なってる。

確かに、あのビデオクリップは最初に愛娘が出てきて、ウッディーがいないけど他のメンバーも出てきて、中々楽しい作りだった。アレはアレで嫌いじゃない。けど、これだけSisqoのファンが多いのは、やっぱりアルバムにおける彼の多様性だと思う。シングルに興味を持って買ったとしても、アルバムの彼はそんな馬鹿単純な男ではない。それは誰しにも伝わる感覚だと思う。


道化が演じれる優しさ


これが、リスナーに感覚として伝わるからこそ、これだけ支持されてるのだと思うし、これがSisqoの光じゃん。


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