言葉を探して
[2005/01/29]

今までずっと音楽を言葉で表現してきた。もちろん音楽的な体験なのだから、それを音楽的に表現するのに憧れているのは確か。絵画的に表現するのにも憧れているなぁ。けど、自分にはこれしか無いから。生まれつきのセンスというよりも、幼年時代から本はかなり読んでいた。そちらの理由の方が大きいかな?って思う。

言葉で表現するって、かなり不満なんだよ。自分の感じたことの30%ぐらいしか言葉にならない気がする。まるで質の悪いレントゲン写真のような感じで、やっててイヤになる事も多い。けど、稀に30%であっても背骨を掴まえれる事がある。それは広がる言葉になるから。だから、なんか辞められないんだよね。

職業柄、よくアナログとデジタルの対比で考える癖がある。そしたら、音楽も絵画もアナログになる。けど、言葉はそれ自体がデジタルに属するから。アナログのモノをデジタルで表現すれば、微妙なニュアンスが失われるのは当然なんだよね。もちろん、デジタル録音などサンプリング周波数を上げる事で、かなり実際の波形に近づける。最後は人間では認識できないレベルまで持っていく事も出来る。けど、言葉で表現する時はそんな方法すら使えない。量的な積み重ねで元の微妙なニュアンスに近づいていくことは全く無い。単語を重ねるほどに読みにくい文章にしかならない。だからまるで酷く低いbpsでしか録音できないMP3みたいで、やっていて本質的な壁を感じる事も多い。


その時の音楽、その時の雰囲気、その時の想いは全てアナログだけど、、、 アナログは儚い
その儚さがなんか悔しくて・・・。ある種の想いをその状態で固めたかったら、無償に言葉で表現したくなってくる。もしマクナイトの処女作を二十歳の時と同じだけ感動できるのなら、僕はHPを作ってないと思う。けど、それはあり得ない話なのだ。結局、人はお互い完全に分かり合えることは無いって思う事もあるけど、、、言葉で表現する事はそこからの1歩目だと思うから。いくらお互いが向き合う準備ができても、伝える言葉が浮かばなければ沈黙だけになる。その沈黙が生み出す空間がかなり嫌いだったのもあるかも。

言葉の裏にはかすかな感情が息づいてる。一単語だけ取り出しても見えない事が多いけど、単語の組み合わせで、その感情が混ざり合う事がある。その色が心の色に近ければ、何かが固められる気がするから。

そういや最近、「あとは引きだけだから」って言った受講者の人が言った。「え、引きってなに?」「問題の引きのことですよ」「どれだけ得意な問題に当たるかって事?」「そうそう」 

この「引き」って言葉はなんかイイと思ったんだよね。「あたる」が単純すぎて論外としても、「後は、どんな問題が"かかる"かだけだから」よりも、「うっしゃー、イイ問題きたーー 後はグイグイ引くだけだ」っていう躍動感があって、問題に格闘してる姿が浮かんでくる。なんか妙にMy-Hitだった。 そんな感じで、たまに言葉の裏にある情景がハマル事がある。

僕自身は全部言葉にしてから、書いてる訳ではないです。書きながら聴きながら、そして書いてる事が多い。深いアルバムほどそうなんだよね。書きながら、もう1歩踏み込める世界があるから。そして書き上がったのを見て、自分でも驚く。そんなモノが書ける時はやっぱり楽しいんだよね。 けど、書き始めるかどうかの基準は上手く説明できない。ある種の感覚的なことで、まだちゃんと言葉にできない。「尻尾を握った感じ」ってのが一番ピッタシくるんだけど。。


言葉について考えようと思ったらソシュールは外せない。自分の研究分野ともそこそこ近かったから、それなりに追っかけた事がある。これが、どれだけちゃんとした紹介になるのか分らないけど、彼の理論の中で咀嚼できたことを書く。

モノがあって、言葉が生まれるのではない。言葉があって、モノが認識される。
普通はモノがあって、それを表現するために言葉があるっていう順序だけど、彼の理論としては言葉が世界を区切っていくっていう話だった。例としてよく挙げられるのは虹の色。日本では7色が基本だけど、国によって数が違うらしい。3つとかの国もあるんだったけな。もちろん実際は連続した光の波長だから、何個に区切るのが正しいという事は無い。そして、その数は文化に依存している。そんな内容だった。他にも、エスキモーは白色を十種類以上に区別しているという件。これも彼らの住んでいる環境を考えると当然な話。一面真っ白な世界で生きていれば、その中の微妙な差の認識が生存に大きな影響を及ぼすのだから。 もしモノが先に来るのなら、世界の言語は同じだけの区別を持つはずなのに、そうなってない。羊に依存した文化を持つ文明は、「子供の羊」という組み合わせでなく、一つの特別な単語を当ててる。ソシュールの理論には「分節化」って言葉が良く出てきた。段々と明確になってくる絵を見ているような、そんなイメージ。

言葉には同音異義語がある。そして、犬を「いぬ」という音声で言うのも単なるルールであって、それが独立している訳じゃない(犬は自分自身を犬とはいわない。ワンとは言うけど、これも文化で違う)。音声が大事なのでなく、他との区別が認識できればどんな音の組み合わせでも構わない。そういう意味と音との二重に重ねられた布が、認識という網目に区切られてる。そんな理論だった気がする。シニファンとシニフェだったかな? そこら辺の事はあんまりピンとこなかった。その前の、言葉と認識の間で妙にずっと考え込んじゃってた。

ある種の認識が、言葉によって確固たるものになる。
その言葉が伝わり、認識が広がっていく。


そんな連鎖の中で、言葉にする前の認識=Feelingと、言葉が伝わることで認識できるモノについて、その仕組みについて、なんかずっと考えてた。僕が曲から受ける感覚を言葉にし、それを読んで曲を聴く人が感じる感覚はどれだけ同じなのだろうか?

全く新規の言葉・他の言葉の組み合わせで説明できない言葉がこの世に無いとすれば、なぜ、わざわざ言葉にするのだろう? なぜ組み合わせのままで使用しないのだろう?? なんで、こんなにもぴったりの言葉を捜しているのだろう??

言葉で表現する事は、その時点でかなりデフォルメ化される。けど、言葉自体の伝達度数は、デジタルの分だけ強いと思うんだよね。もし音楽的に表現すれば、それを聴いて感じれる人は、言葉を読んで感じる人よりも少ない気がする。言葉にする作業では無力感を感じるけど、広がる度合いは結構安心してる面がある。「掴まえた」と思えるモノが見つかった時に、自分の達成感の分だけ伝わらなかったら、かなりショックだろうなぁって感じることがある。その点で、言葉で掴まえると、なんかその先が安心できるんだよね。


輪郭が揺れ動くモノに対して、四角い外枠を当てはめていく事で、より深く見えてくることがある
四角い枠で囲ったからこそ、ちゃんと保存されるものがある


どうして保存したいんだろう? どうせ全ては過去になっていくのに。それは、きっとそれは僕が導く言葉を捜していたからだろう。「尺取虫が屈っしんのは伸びんが為なり」以来、僕はあまり言葉に導かれた事がない。歌として出会う事は何度もあったけど、言葉として出会う事は無かった。

歌から感じるモノがあったとき、もしこれを言葉に出来れば、自分は一歩でも前に歩いたことになるんじゃないか?

感動は儚い。明日も同じだけ感動できる保障は何処にも無い。どれだけ感動しても、寝て次の朝になったら、昨日と同じ毎日が続いているのかもしれない。どれだけ感動しても、そのサイズは歌手の100分の1かもしれない。彼らは歌ってる時点で何かを捕まえてる。歌に出来た時点で絶対に何かの光を掴んでる。自分が前を向いて歩いていくには同じ量の光が必要なんだ。それはただ聴くだけじゃ絶対に手に入らない。

だから、彼らが歌にしたように、僕は言葉にする。
その積み重ねがP2S2R&B

《成功》そのものに、ホッと、肩の力が抜けるというのなら
《琥珀のような人ですね》
  《優しさ》と《親切》の違いに拘って
《をとこ》というならば、彼がNO1
《-0.1,-0.2,-0.3,,,,,》だけれども
幼稚園で1番可愛い娘が、輪から外れて蟻を殺してる
《明け方のギャング・ストリート》を歌いたがっているかのよう
Negativeを突き詰めた Positiveさ
《告発》するくらいなら、《ともしび》を
最近の穏やかな目尻が印象的
駄目だよ、メアリー 「私が悪かった。戻ってきて欲しい」なんて
独りの世界というのは官能でも有りうる。
道化を演じる彼女は密かにアーシー
《陸に上がった魚》じゃないんだから、、、
《ローカル線の鈍行電車》の趣で、、
《横たわる時の長さ》と《風化させない痛み》
《袋小路》に陥っちゃった、、、
パンティーかぶってジャンジャカじゃーンって、彼はもっと《深い》
プリズムに、逆に光を通したかのよう
そよ風に舞う 羽毛のようなハイ・ソプラノ
自身が《怒ってる》事に対して《怒ってる》バラード
  《拘る》ことに《拘って》、僕らは何処に行くのだろう?
久々に《raw》な顔で歌ってる
超《イケテル》人だけど、心の柔らかい部分が残ってる
薄衣を脱ぎ去って、彼は本当のSingerになったのか
《真珠》というべき作品
「《ピアノを弾いてる自分自身》に浸ってる」 のにはゲンナリさせられるが、音楽の事になるとわき目もふらずに突進してる
ポップコーン・プレイから9年経って、、、精神的に成長したと思う。ちょびっと昔がなつかしいw
らしさがポンポン手に入る訳じゃないのは分るけど、、、枠からはみ出てない
広がる「Go Ahead」
60過ぎのTrue Love
この温もりを感じさせる声
声の表情が増えたと思う
置き言葉
"A"にまで削り込み、楔を打ち込むように歌う姿
「イイ人」からはみ出ない内面性
大人の男の《もがき》を感じる
なぜ彼女はこんなにも《高み》にいるのだろう
  Soulに守られたSoul
Wattsから外へ踏み出して
ふたりで行くネクストレベル12日間
振り子が止まり、原点に帰ったR Kelly
60過ぎの男気
私だって、人知れずとも傷ついてきた
  重なるSpeechless
不遇な境遇で光る《歌手魂》
魅力的な円
新たな大地
明け方のギャングストリート
相手に合わせるという事
SorryとBabyの連環
《明るいフェーズ》 ・ 《深化した寂寥感》
程よい《アホさ》《ラフさ》《ノリの良さ》
18の頃に《この声》があったらブイブイ言わせたのに(笑
《想い出》は《芝生》となりて
努力が裏付けする素直で穏やかな自信
ニヤリ爽やか
世界について正面から語っている訳じゃないけれど
銀食器のような内省感
新たな反抗というべきか
若い娘特有の隙が、最後の隠し味
とめどない無力感
今風メランコリック
シルクのハンカチ
核が見えない
そりゃ確かに《いじける》よなぁ
サイバー・ディープ
心に届く夏の風は 爽やか過ぎて 肌で感じられない
色あせない爽やかさ
爽やかさの源泉
ナイーブな疾走感
貴方はちゃんと「綺麗だね」って言えますか?
パーティ・ソングに拘って
核のストレートな表現
彼女のprideの形
シャドウ・ボクシング
若い女性の寛ぎ感
私の一番酷かった時期を覚えてる?
心の遠景
かなりのオサナ・ナイーブ
Rebirthで出来る事
膝を曲げ、子供の視線の高さで歌ってる
偉大な等身大
硬質の優しさが貫く
重なる2つのNever
終わりに出来ない恋愛は・・・失われる
このアルバムは「歌館」、そして彼は「歌男」
彼らはSoulに殉じてる
泥沼な恋愛の道標
哀しみに満ちた成功
99%に喧嘩を売るけど、1%を救える"Why Chiristmas" 救いを求めるウンヤの叫び
未練切り
独りっきりのAnniversary
男のSink
アドリブは歌手の命
女性サイドに立って歌ってる
そりゃ最初に悪いのは男って決まってるが、女はいつだって「質越え」するんだよ…

カット&ペースト疲れた・・・ 自己申告でマシなのをピックアップしました。こう見ると滅茶苦茶あるなぁ。皆さんはこれだけ見て歌手名が分るかな? 全部分かった人にはプレゼント贈呈ってな位の量があるぞ・・・
うーん、上では色々と書いたけど、この量は「にっちもさっちもマシになってない」証拠の気がしてきて、ちょっとブルー 
そんななんなです(爆
Part2
   
Weekly Commentから
[2006/03]

先週のTyreseの所で取り上げた和歌「忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな」だけど、幼い頃に持ってた解説本は、捨て台詞みたいな皮肉的な解説をしてたんだよね。そりゃそうだろう。例えば彼氏に振られた女性と飲みとかに言って「あの人に神罰が下らないか、それだけが心配だわ」って言われたら、頭おかしいのか、よっぽど恨んでるのか、どちらかだと思うじゃん。まあ平安時代は今よりも神罰が信じられていたとは思うけど、それでもちょっとね。「忘らるる」の「るる」って響きは好きだけど、それもあって好きな和歌にはなってなかった。

ところが今やってる本:書いて覚える百人一首練習帳―ボールペンで美しくの解説では、「私のことはどちらでもいいのだけど・・・」と淡々とした気持ちの解説が載ってた。そこに、びっくりした訳ですね。確かに和歌は皮肉/ストレート、どちらとも取れる内容だと思う。実際に言葉だけ見れば、7割皮肉に分類されるほど難しい語句だけど、あれを「とことん好きで、でも振られた理由を正面から受け止めて、あの人の欠けている部分を、結局自分自身が全て埋めることは出来なかったけど、その部分が今後のあの人の人生を狂わせなければいいのだけど」って淡々と言えるのは、それはMaryJ:My Lifeレベルの、K-ciが素っ裸で土下座する位の凄い魅力だよ。

そんな意味では、言葉の意味は、常に二重にある。と思ってます。以前のかっくいい「一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております」であっても、2割は皮肉でも言えるんだよね。その後に、「俺にとっては今なんだけどね」とか言えば、場外ホームランか「調子いい男だなぁ」の、どちらかになる。

そう、世の中には場外ホームランを狙うと、「はい、三振のスリーアウトチェンジ」「えぇぇ、俺まだ第一打席で一球しか振ってないぞ」「でもスリーアウトでチェンジなの。」って言うオチになる。それが分ってても、女の子の前で「俺にとっては今なんだけどね」と言った男性には、本HPとしては最大限称えないと(爆

と、あまりアホなことは置いておいて、なんでこんなに拘っているかというと、以前にSPA!にインタビュー記事が載ってたんだよね。「萌えフルート奏者」(にちゃんでごめん)「フルートは感情を表現するのに一番いい楽器だ。ポップスは歌詞があるからせこい」(大意はあってるハズ) それを見たとき、「言葉があれば感情が伝わると単純に思うのはバカ」だと思ってしまった。まあ写真集発売してる位だし、「メルヘンな風」というアルバムタイトルも期待してないけど。フルート・感情どうこういいたいなら、感情をどうやったら伝えれるのかについて、繊細な感性をもたないと。「歌詞すなわち言葉があれば感情を伝えれるというのは表面的だ。言葉にならない感情はフルートでこそ伝えられる」とまで言えば、CDを買ってもよかったのね。久々の「おバカさん」にしておこう。(ちなみに二回もらったUsherは大ヒットしから、彼女も大ヒットするかもしれん・笑)


そういう意味で言えば、ストレートでシンプルな言葉ほど、言葉だけでは正確に伝わらないと思う。

本人に裏の意味がみじんになくても、不安感を抱える女性なら、なおさらそこを感じてしまって、半分くらいに減衰するから。
だから、突き詰めるとデートコース設計というのも、「一番伝えたい言葉がどれだけ伝わる状態にもっていくか」がメインになると思うんだよね。よく巷の本には、ムードとかつり橋とか適当なこと書いてあるけど、それは違うでしょう。核の一言、それが「すきだ」にせよさ、それをどれだけ減衰せずに、逆に周囲の状況が増幅してくれるかもしれないしさ。ただ、一般的な恋愛本では周囲の状況に増幅してもらうために、というノリが強くて嫌いだ。増幅しても、それが続かないと気持ちも下降線になるのなら意味ねージャン。やっぱり一番大事なのは、言う時の表情でしょう。だから大事な話は直接会って伝えるべきなのだから。。

で、今考えている表情理論だけど、ドラマ24と「ため息つかせて」を見て、新たに分ったことがある。黒人初の大統領役という栄誉を受けた デニス・ヘイスバードの演技力はマジで伸びた。あんまり映画をみても表情的に感動しないけど、彼は凄かった。それについては、また今度。


リンク張った手前久々に2ちゃんを見たけど「萌え系ってなに→ルックスがちょい微妙な時の逃げ言葉」には爆笑してしまった。やべー「うーん 整形した片桐はいりみたい」で気になって動画みてしまった。。せっかくの休みをドブに捨ててるぞ。。

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