何故か売れないアーティスト
[2002/09]

なぜか売れないアーティストってちらほらいる。曲も悪くないし、声も悪くないし、悪い所を探すのが困難なのに、やっぱり「売れないだろうなァ」って思うアーティスト。まるで「文句つけれないけど、好きになれない男」みたいな感覚に近い。。何かが足らない。何かが足らない事は分るけど、それを上手くいえない。そんなもどかしさを感じるながら、アルバムを聴いてきた。

90'Sを良く聴いてた自分にとってはIV Exampleに1番感じる。貸したら「中々良かったね」っていわれると思う。けど、それ以降でどれだけ聴いてくれるかは、その人の所有枚数と関係あるかも・・・って思っちゃう。確かに曲のアレンジとか、アルバム構成とか、改良点を色々あげる事は出来る。そこを直せばもっといいアルバムになると思う。けど、それでも売れないだろうと、何故か思ってしまう。

取りだして聴くには悪くない。けど、「取り出す気持ちにさせてくれない」と感じるから

何かがあった時、「こおいう時に、こんな風な音楽が流れていれば、、、」とは、誰しもが思う感情だと思う。結局は、それを取り合う作業のような気もする。けど取りあっても最終的には何も出てこない。だから、目指すは他人の心のスキマではない。ただ、独り善がりをやられても、どうしようもないから(ねぇ、Dalvinって自分は結構そのノリ好きだけど)、そこら辺の線引きは微妙だけど。

結局の所で、そんな感覚を受けるアーティストは

「黙れと言われても、どうしても歌ってしまうようなモノ」を提示してないのだと思う

実際は、恋愛でもそんな気もする。普通から見ると駄目な点を、勘違いでもいいから相手に魅力と思わせる事が大事であって、それさえ達成できれば、恋愛の90%は上手くいくとは思う。あとは塩と胡椒の話になるんだと。
「あなたのことは今でもとても好きです」と彼女は最後の手紙に書いていた。
「やさしくてとても 立派な人だと思っています。でもある時、それだけじゃ足りないんじゃないかという気がしたんです。 どうしてそんな風に思ったのか私にも分りません。それにひどい言い方だと思います。たぶん何の説明にもならないでしょう。十九というのは、とてもいやな年齢です。あと何年かたったら もっとうまく説明できるかもしれない。でも何年かたったあとでは、たぶん説明する必要も なくなってしまうんでしょうね。」 

村上春樹著  「午後の最後の芝生」  "中国行きのスロウボート編"
自分はあんまり小説を読まないけど、村上春樹は別。長編も短編もエッセイも全部読んだ。そして、 これは中3の頃に読んだのだと思う。何故かずっと心に引っかかってた。個人的に村上春樹の核が見えると思う、この短編は。
今の自分なりに、 ぶっちゃけて適当に喋ると、

「連れこまれる感覚」 なんじゃないかな・・・根本的に足らないのは
「紳士的に連れ込まれる事」

うーん、この言葉自体が矛盾してる気もするけれど、それが足らないのだと思う。結局、人間は矛盾した動物なのだから、矛盾した事を求めるのはしょうがないのだと言い切りたいなぁ。

「全部そこそこ有る」というのは「何か足らない」と同義なんだろう。それが、いくら中流のボヤキであっても、本人にとっては切実な想いである事は多いと思う。 逆に「何も無い」というのは「《何も無い》が有る」と同義なんだろうけど、そう思えるかどうかは、、、強さだね、やっぱり。 じゃあ、強さがどこから出てくるかを考える。それは難しいなぁ、、けど、ラインを引く事じゃないかな。 どんな状況でも、ラインを引く余地ぐらい残ってるから。 負けにせよ、背中を曲げて俯くか、胸はって前を見るかどうか位の選択の余地は残ってるから。

何よりも、負けた奴より勝負できない奴の方が下でしょう。確かにそいつには勝つ可能性が残ってる。けど先延ばししてるだけで、死ぬ間際に気付くのがオチだと思うな。勝っても負けても何かは手にはいる。何も手に入らなくても、《負けたという事実》は手に入る。それだけで十分じゃないの?人が前に向かって歩んでいくには。 だから、そこでしっかりラインを引いて、そしてそれだけは絶対に死守する事。次ぎの展開が開けるまで。


「俺は歌を歌わなくちゃいけないんだ」という必然性を、
無かったら強烈な思い込みでもいいから、
提示しないと


実際、恋愛で好きになった理由を聞かれても、「好きなんだ」を10回繰り返せば事足りる気もする。って、、これはさすがに無いけど、何があっても、10年以上好きと言い続ければ誰も文句は言わないでしょう。結局、突き詰めれば、必然性なんて、「太陽が東から上る」とか、 「人はいつか死ぬ」とか そんなレベル以外は、 全て何かしらの思いこみによって成立するともいえるし。 というよりも、意志だね。 譲れない揺らがない意志のみによって出来ていると。

アーティスト紹介とか見ると、「喋る前から歌っていた」とかあるけど、まあ、あれは愛嬌なコメントだからねぇ。 そういや昔マイケルジャクソンの伝記で、「生まれて直ぐ洗濯機の音で踊ってた」なんてのもあったなぁ。 じゃあ、アインシュタイン・レベルになったら、「生まれて直ぐ、幾何の問題解いてた」とかになるのかなぁ。 どっちにしても、そおいうレベルの理由付は後からいくらでも出来る訳で、 どんな幼年時代でも、有名になった時に引用されるエピソードも、犯罪者になった時に引用されるエピソードも両者揃っているとは思う。

そんな事を考えながら、IV Xampleを改めて聴いてる。
何よりも、たまたま自分的な理由が重なって、こんな面を彼らが具現化しているだけであって、彼らで無くちゃイケナイ必然性が弱いという所が、もっと悲哀だね。
<強引に結論>

物足りない良い人で終るなら、Crazyになりましょう。その結果を全部受けいれるべく努力して、「いつか優しい人になれたらいいな」で歩く事をお勧めします。その為には、、夕方が来る頃に、やっと救われたと思う位に独りでR&Bを聴かなくちゃネ。 (うーん、うーん、訳の分らない事を書いているなぁ、、それに、あんまりめちゃをやっちゃ駄目よ。お兄さんみたいに底に直行だから)
「僕はただこんな風に芝を刈りたいのだ」とあの短編の最後の方に書いてあった。 実際 あんな事を言われたら、自身の全部を見失ってしまうと思う。ってもちろん、あのレベルの手紙を書ける、その女性の誠実さにはかなり惹かれるから、、、余計困ると思う。そして、その結論が"芝を刈る事"。それを見つけた時点で、"物足りない良い人"から脱皮できたと感じた。それが村上春樹の核だと思った。

村上春樹への更なる考察はこちら



《Home》