人の核を挟んで、R&Bの正反対側にあるもの
人工知能*AI
[2004/11/23]

秋の大学
HPを作り始めた2001/04/08から3年半。また此処に戻ってきた。改めて向き合うと、HPに関しては後悔がある。最初に書いてた文章はガキすぎて、きっと多くのR&Bファンは「こんなHPは二度と見ない」って感じたと思うから。それはあの時の自分の幼さだから、ある程度以上考えてもどうしようもない。今をしっかりするしかない。けど、もっと大きな点として、HPを作り始める前にちゃんとその時の状況や想いをまとめておくべきだった。

別に隠し事をするタイプでもないけど、このHPを見てあの頃の友達は「あの時のお前はそんな良いもんじゃなかったぜ」って言うだろうし、それは同意するんだよね。今の時点から思い返して書く事にもそれなりの意味はあるけど、何処を見渡しても何も無かった作り始めの時に書いた文章の方が、本当の意味で参考になると思うから。

それに、ここまでBlack Musicを聴き込んでた本当の理由は本人じゃ分らない。最大の因子でも言えばいいかな? 個人的には「能動的に情景を思い浮かべようとしてる」 「たまにノートに書いて一年毎に見直す」だと思うけど、ホントは幼年時代の体験とか、「お前の恋愛はなんでいつもそんなんなんだ」とかの話が大きな因子なのかもしれない。自分の奥にある、ある種の裂け目もそう。ホントの事を言えば、あの裂け目があるからこそある線以上を越えて聴き込めるし、全ての問題の根でもあるとは思う。けどねぇ、これらは死んでも勧める話じゃないから。

それに一番自分がR&Bを聴き込んでた時、R&Bと研究と古武術の3つによって成り立っていたから。そのどれか一つが欠けても、此処まで突き詰めれなかったと思う。例えば、MaryJ.の所で書いた色。色をゼロベースから考えていたのも研究のため。感動もそうかな。宗教もそう。だから一般的には理解しがたいかもしれないけど、自分の中ではこれらが密接に関連してた。古武術もそう。若いんだから運動も無くちゃ正常な生活として回っていかないというのもある。けど、AIの問題意識の一つに「体のない知能は存在できるのか」ってのがある。真に日常生活に役立つAIを作るには体を持つ必要があるんじゃないかって。

冬の大学
人間の一番の謎=自意識も、背骨と脳の間にある。癲癇の時はここに通常以上の放電が観察されるらしい。ここに電気を流せば、自意識が飛ぶって読んだ事がある。それも意識的に大学初期に乱読してたから。頭だけ取り出そうとするおかしさがあるのなら、やっぱり個人的にも体を突き詰めたかった。けど、オレッチは運動神経があんまり無いからw 自由でいいって言われると、センス無い人はやっぱり困るんだよね。それよりは強制でもいいからBestと言える動きを何度も何度も体に叩き込んだ方が上達は早い。

そういえば、「どれぐらい上手なん?」「同期3人の中で3番目だよ」「それってドベじゃん」「まあ、そうなんだけどw、ホントは最初6人いたんだけど、3名やめちゃってさ。上の二人は見てる目標が根本的に違う。一人は宮城県の県庁に勤めて、県北赴任になって、一生流派を極めてくって言ってたし、もう一人も中学の社会の先生になろうとしてたけど、いつかは古武術の部活動を始めたいって言ってから。俺のメインはあくまで研究だから」って言ってた。普通から見れば彼らも変わってるかもしれないが、一緒にいて凄くいい影響を受けてたよ。

自分がAIに興味を持ったのは、高3の頃、たまたま新聞記事を見たから。あの頃理系クラスだったのは、百人一首以上の古文が嫌いで、英語が出来なくて、数学がそこそこできたから。高校時代は今から思うと人生で一番気楽に生きてたなぁ。ぶっ飛びは中学までだったし、自分の奥も抑えきれると思ってたし、恋愛はなんとかなると思ってたし、勉強はそこそこだったし、あんまり色んなことに心配してなかった。あんなに大学時代が普通から外れると思ってなかった。仙台に行く時は、一人暮らし=裸にエプロンでしょうと思ってた(男ってそんなもんよ爆 そんな意味でもごくごく普通だったから。

そういや同じだけあの時に興味があったのは猿の研究。たまたま新聞で竹内久美子の記事を見たから。あの頃は物書きと言ってもまだタンザニアにフィールドワークに行ってたんだっけ。それが凄く興味深くて。もし京都に行ってたら俺もそんな道を目指して、R&B聴きながら猿の中にファンキーの起源を探しにいく研究に邁進してたかも(爆。けど、仙台に行くことになって。工学部だったらAIを目指すのは決めていた。

今から思うと、猿の研究だろうと人工知能だろうと、やっぱり最終的な目標は「人」そのものなんだよね。けど、人の核を直接研究対象には出来ない。そんな分野はない。というより、自然が対象な科学以外は社会学だろうと哲学だろうと心理学だろうと、最終的にはそこを目指しているのかもしれない。だとしたら、俺は言葉だけの世界は嫌いだったから。二十歳の頃に改めて見つめて、確かにR&BとAIは正反対だよって思った。けど、「足して二で割ったら丁度いい」ってのは昔から周囲に言われてきたし、こういう両極端が合ってるんだよなぁって思ってた。よく教授に「君の研究はお話ばっかりで話にもならない」って怒られていたけど、実際に動かしてなんぼというのは工学部の矜持だと思う。それは共有してた。だからこそ実際にインプリメントする過程で人の核が見えてくると思ってた。R&Bもそう。自分のネイティブな照準は悲しみや辛さじゃない。その向こうのそれでも何かを目指して生きていく意志にあるのだから。

音楽を職業として選びたくなかったのは、Black Musicが本当の意味で自分のベースだから。どんな職業を選ぼうとも、R&Bだけは聴き続けるから。けどそれを職業にすると、自分の掴んだモノをダイレクトに出せない。それがイヤだったんだよね。若い頃は「本音で話さないうちに、本音すら見えなくなってくる」と思ってたのもあるし、哲章さんの記事をbmrで見かけなくなっていったの大きいかな。他の分野よりも本音ベースで歌ってたのもR&Bにハマった理由の一つだったけど、批評は違うんだ、、、と思ってた。


工学部
失われた10年間

99年に研究室配属になって専門誌を読み始めた頃、一番印象に残ったのがこの言葉。知ってる人は知ってると思うけど、80年代後半の第五世代コンピュータプロジェクトは海外的にも一般的にもそこまでの成果を残せなかった。日常生活に役立つ人工知能ってのは、遠い夢であって、「かなり困難」ってのは社会的にもなんとなく浸透したんじゃないかな。

60年代頃には、「2000年にはバリバリの人工知能が活躍している」と思われてたのにね。そんなことはありえなかった。80年代後半に花火をぶち上げた日本としては、余計に無力感が覆ってた。

もちろん初期のテーマである、音声認識、画像認識、手書き文字認識とかは成功したし、社会で役に立ってる。けど、皆が目指してた本丸はいつになっても落ちなかった。アメリカの有名な研究者も、「独立した知能でなく、あくまでコンピュータによる人間の補助作業をメインにしていく」ってな方向転換してた。だから、99年にはどんよりとした重い雲が頭上にあるような、そんな研究分野だった

けど、大学初期の頃から図書館に行ってはコンピュータ関係の本を読んでた自分としては、トップレベルからの話が無いことが凄く不満だったんだよね。細部のテクニカルな話はいい。そんなの最初から追っかけなくてもいい。一番大事なのは、一生の仕事にできる方向性と突破口を見つけることなのだから。

世の中には3種類の人間しかいない。天才と秀才とそれ以外だ。知識というのは発想を縛るんだよね。自由に発想したければ、あまり知識(固定観念といってもいい)は無い方がいい。けど、ゼロベースから偉大な発見を出来る人なんてのは、世界での10年間に一人いればイイぐらいだから。自分がそれに該当しない事なんて考えなくても分かるでしょうw だから、自分は周辺分野までトコトン読んで、そしてトコトン忘れていった。それで最終的に何も残ってなかったら、諦めた方がいい(爆 そこまでやって、初めて自分を賭けれる方向性が見つかる。 
研究棟

知能が独立してある訳じゃない、最初に意味がある。意味を増やすために知能がある
そんなの誰でも分かる話のハズなのに、どの本にもこのレベルから書き起こしてなかった。それが凄く不満で、「じゃあ自分で考える」って思ったんだよね。19の頃だ。けど、意味の意味を考えるほど大変な話もない。それに一般的には哲学の分野だから。人工知能は工学部の中でも一番哲学に近い。いや、ある意味、コンピュータにインプリメントできる哲学を探してる分野とでもいえばいいかな。兄貴の影響から、高校時代から哲学系の本は読んでたから結構楽しかった。その最終としてベルグゾンに行きついた。ニーチェとかウィトゲンシュタインとかも、まあ色々読んだけど、何処までこの頭に残ってるんだろうね(爆 けど、AIにおいてベルグゾン以上に大事な人はいないと今は思う。それが断言できるほどはやりこんだ。そういう体感が一番大事だと思ってる。ソシュールの言葉による世界の分節は常識とすべき。知らなきゃ話にならない。けど、一番大事なことを言ってないと思う。それが無いと真の意味ではAIに持って来れない

意味の意味を最終的に保証するのは宗教なんだよね。だから、この分野も結構読んだ。華厳経は仏教の中でも理論の割合が多いから、結構楽しい。道元の正法眼蔵は挫折したなぁ。親鸞の「悪人正機説」はそんな境遇に生まれそれしか生きるすべが無い人を正面から見据えた優しい視線と思うけど、あんまり研究の方向性とは関係ないから。

そもちろん意味の意味はまだ分らない。けど、
単に、「意味の意味」について拘ってたんだよネ。結局、全ての物事は突き詰めていくとそこに行く訳で、、、、けど「意味があるとはどういう意味か」なんて考えても答えは無い訳で・・・。そんなの誰もが最初に分かる話なのに、やっぱりそれが必要だった。それ位にはあの頃、研究に本気だった。って、結局はTommy Sims状態になったんだが・・・・人生はそんなものだと思う。そんな自分にとってR&Bは最後のケジメだった。だから民間企業に就職するのを決めた時から書き始めた。あの時が、2度目の空色の絶望感だった。本気で走った分だけ空しさとは言えなかったけど、それは当然かもネ。

結局、「意味の意味」を考えた結果が、「憧れを見つけてがむしゃらに追っかけましょう」です。人生はそれ以上でもそれ以下でもないと今は断言できる。憧れる人がいないなら、もっと外を見て、色んな事に首を突っ込んで、色んな事を体験すればいいと思うよ。
って以前に書いてた。皆さんが個々からどれだけものを受け取るかは分らないけど、これが自分のMAXです。

卒業直前の研究机
だから、研究はモノにならなかったけど、後悔したことはない。もうちょっと女の娘と楽しくやってたら、、、とは思うけど、晩秋の入院からもありえなかった。


二十歳の頃に自分は何かを掴まえた。R&Bと研究の二つで。だからそれを99年10月の卒業研究テーマ発表会で発表して、教授にけちょんけちょんにされてw、あの時はSisqoのソロ作を聴いてるような状況で、色々とHeavyだった。12月の終わりまで必死にやったからなんとか卒業できたけど、かなりギリギリだった。

大学院に行けば、丸々一年間がほぼ自由に使える。だから、その先を考えてた。けど9月の川渡での発表会で、またモノにならなくて。俺がAIに関する根本的な問題点と思う所が、全く教授に伝わらなかったから。具体的なレベルに持って来れなかった自分も悪いが、分野自体が論理に寄りすぎだと思う。皆、頭の中は西洋庭園なんだよね。高度に区画化され対称化された場所。けどさ、そんなもんじゃないでしょう。アマゾンのジャングルからそこまで持っていく過程を議論しないと。

どんな分野でも社会から要請されている疑問点に答える義務がある。その要請はもちろん人工知能にもある。そのうちのいくつかをピックアップすると、
  • 頭がイイってのはどういう事なのか? どうすれば良くなるか?
  • コンピュータは最終的に感情を持てるのか? 例えば恋するのか?
こんな点になるかな。頭に関する事、感情に関する事、これらが二大テーマでしょう。頭がイイって事に関しては、バカみたいに成績が良かった両親だから昔から良く考えてた。「あんたは出来ても当然」の世界が大嫌いだったから。そんな意味では、これがちゃんと分れば、俺の自由を増やしてくれると思ってた。今の自分は「理解の3段階」って一応考えてる。これらの区別を無意識的にでも出来る人は、成績は出るでしょう。まあ息子として言えるのは、物事の最低限量の大きさかな。それ位にあの人達は努力してるし、そもそも努力と思ってない。イチローだって素振りの回数は準備ってコメントしてたし、努力と思わない人だけがプロになれるのも確かか。そんな意味では自分は努力と思ってなかった。ただ、素直な笑顔は無かったし、「あんたは出来ても当然」を見返そうと思ってたし、だからだね。周囲を反発か緊張させて無理やり作った空間で、本当の成功は有りえない。そんな意味ではこの結果は凄く納得してる。
工学部前の道

コンピュータが感情を持てるかについては、そもそも感情の定義がちゃんと出来てないのだから、どうしようもない。ってな風に、人工知能ってのは哲学よりも具体的に物事をゼロベースから考える学問だから、だからこんだけ大好きだった。未だに、欲望と感情を明確に区分けする方法なんて人類は知らない。欲望と感情の間のグラデーションは、「相手のため」で変わるけど、「相手のため」はやっぱり向こうが決める話だしね。欲望を人間が変更できない部分と定義しても、今のプログラムはプログラム自身で変更できるようにすると、とんでもないバグしか生まないからなぁ。意味のある変更を自らできるようになって、初めて変更できない部分の意味が出てくる訳だから。

こんな議論より、「死なない奴に愛は無い」って言う方がよっぽどすっきりしてると昔思った。北斗の拳じゃ「お前はもうすでに死んでいる」って決め台詞があるけど、個人的にはこちらの方がいいと思う(爆  R&Bから見れば「死なないGODだからこそのLoveがある」と言われそうだが、個人的には最終的には因果応報しか信じてない。「恋愛で相手にしたことは、イイコトも悪い事もいつか必ず自分に帰ってくる」そんな感じです。そんな意味ではこの結果は凄く納得してる。

屋上からの眺め
社会人になると決めた時は、こんなに時間のある仕事になるとは思わなかった。SEの同期は死ぬほど忙しいが、オレッチの最近の残業時間は30程度だから。休日は全部空いてる。そしたら、HPをSoulまで作ってく。それがこの2年半の目標だった。それが満足する結果になった今、自分が達成できた地点を見る。

確かに、書いてる文章の性格としてこれぐらいの人数だと思う。これ以上は、アーティストを増やしてもそんなに増えない。文体の問題なのだから。幼い&至らない表現は直して行くし、この先もBlack Musicを聴き続けるのも確か。けど、文章の性格は当分このままだ。もし本当に聴くことで壁にぶつかりたいのなら、Black Music以外を聴けばいい。けど、それは有りえない。Black Musicはずっとずっと自分の一番大切なベースであって、それ以上には広げない。

それよりも、もう一度この分野で壁にぶつかりに行こうと思う。

もちろん趣味として楽器は一つやっていきたいけど、それは昔の古武術の代わりかな。英語は当然としてやっていくけど、英語でのコミュニケーションは俺の最終的な目標じゃないしね。もう1歩仕事に踏み込むのも選択肢だけど、やっぱり自分はAIに戻る。それは、20や23の頃、R&Bと同じだけ掴まえた感触があるから。その内容は専門家じゃないと分りにくいだろうし、いやどんな分野であろうと本当のクリティカルなアイディアは凄く単純だが、専門家は「そんなの絶対無理だ」って言うだろうし、それは別に構わない。R&Bの方はR Kellyらの努力があって、このHPもそれに伴っていった。僕が努力してたのは、自分だけが感動したのがイヤだった事。突き詰めれば、彼らと友達になれるまでの地点にいけると思ってた事。けど、このHPが広がったのは彼らの努力であって自分が本当に努力した事ではない。

1998年:「俺は今こんなんだけど、聴きまくってるR&Bと、考えているAIに関しては掴んだ感触があるんだ」
2002年:「HPはそこそこ上手く行ったけど、同じだけのモノを掴んだ研究は、あそこまで行くと思ってる」

この言葉を信じてくれる人がどれだけいるかが、自分の人生の価値の全であって、それ以上でもそれ以下でもない。きっと自分の人生はあの時に掴んだモノを一生かけて形にしていくのだろう。

この文章はあの頃に俺を信じてくれた友達への、言葉に出来ないほどの感謝の気持ち。
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