Maxwell
"Now"
自分にとってかなりの問題作です
[2001/10]

随分混乱してるけど、1週間かそこらで書けそうにないので、不十分かと思いますが、現時点でのレビューをさせていただきたいと思います。


Maxwellは今のR&B男性アーティストの中で、二つのポイントを持ってる。「ファルセットが綺麗な事」「メロディーラインがイケテル事」 特にファルセットはNo1だと思う。このポイントはパンチ力大。だからこそ彼の1stを「R&Bの入口」として紹介しています。その凄さは1stならWhenerver,,2ndならKnow Theseで堪能できると思う。ファルセットとメロディーの黄金Setは今回のアルバムでもFor Lovers Onlyに見ることが出来る。確かにそれまでの作品に負けない曲に仕上がっていると思う。

けど、根本的に違う何かが潜んでると思っちゃう、、

何が違うのかが、未だにちゃんと掴めてない。けど、アルバム自体の性格も大幅に変わっていると思う。その変更点が見えてこない。彼が何をしたいか?はジャケットからもアルバム・タイトルからも一目瞭然なのにね。
「今の優先」「前作までのコンセプトを横においたラフスケッチ」というのは分るんだけど、実はもう1段階彼は奥底で遂行しているような気がする。逆説的に言えば、本作が1番コンセプト・アルバムのように思えてくるや。


アルバムというのは追っかければ追っかけるほど見えてくる

イメージ的には「一つの光源から生みだされる光の反射と影と微妙な揺れ」だと。その作品を届けるにあたってのシーンの状況、それまでの作品との対比、アルバムの中での曲の位置付け。
それらが時には影を生んだり、反射を生んだり、水紋のような揺れ具合を生じながら、結果として届いてくると。もちろん、1番外の枠組みにはR&B自体が置かれた状況も存在するしね。何もかも吹っ切れたようなストレートな光としての作品もあれば、それらが織り成す微妙な感覚がナイスな作品もある。今まで自分はこう思ってた。

その上で、それを再構成していく事、光源を直に掴まえる事。光源こそが本HPでいう志向性だし、出来れば光源の種類までも見極めたかった。これが、イメージ的に述べる自分の音楽の聴き方なんだよなぁ、、その結果としてのP2S2H2だしさ。
その為にはやっぱりR&B-Timeというのがどうしても必要不可欠。真っ暗な中でヘッドホン聴くことで、アーティストの呼吸のタイミングまで聴くことで、見えてくる世界があると思ってから。そこで、「これは誰にも伝わらないだろうけど、俺/あたしは歌いたいんだ」とかが見えてこれば、達成感 ってな感覚で聴きこんでた。けど、

それを、本作にやると、スカされる
R&Bを聴きいてもう直ぐ10年だけど、初めて感じました。かなりショック。隠してるから辿り付けないという感覚はR Kellyの過去の作品とかで何度か味わった。けど、Maxwellの本作は隠してない。それはボーカルの表情からも一目瞭然。彼はいつになく前面に来ている。けど、どうしても追っかけていくとチグハグ感があるんだよなぁ。


まるで、点描画を虫眼鏡で見てるかのよう
御存知、点描画を虫眼鏡で見ても、丸しかない。結局、遠くから見ないと形は浮かんでこない。このアルバムも、混乱した挙句、料理中に流していたら、「嘘のようにすんなり分った」 彼が何をしたいのか、何を得たのか。どんな道を歩いてきたのかが。


自分にとってのMaxwellの最大のポイントは、それは「夢想世界」という事。処女作を追っかけて見えてきた結論がこれだった。オビには「一夜の恋」って書いてある。曲はどんどん進んでいく。けど、実際の彼は見ただけじゃないの?と思ってしまった。だって、聴きこんだ結論としてのMaxwell像は、

目の前の女性が理想に近ければ近いほど、声が掛けれなくなるタイプ

彼は理想と現実のギャップを知ってる。理想はあくまで理想だし、誰にだっていい面と悪い面があり、合う点と合わない点がある。彼は、その上で理想の方を守るタイプの気がした。だからこそ、SuiteLadyで叫んでいるのだと。ま、これが事実かどうかは、別にどっちでもいい。ただ、自分としては、流せないね。二人でいる時に。それ位ならKeith SweatのI'm Not Readyの方がよっぽどしっくりくる。誘い込むのには適していると思うが、、その先には合わないと、どうしても思ちゃう。だからこそ、彼はこのアルバムで、

自身のリアルな感情ですら点描画の一つの点に過ぎない
こんな場所にいると感じます。遠くから眺めて始めて、伝わるアルバムなんて、ホント、びっくり。というよりも脅威的。普通はリアルな感情をどれだけ見せるかどうかの世界だから、脱がせる服はどんどん脱がしていけばOKなもんだけどこれは、隠してないくて、かつクリティカルでない。結局、「中心を有する構造をしてなく、駄作で無い」 マジ、信じられないなァ。

どうしても、自分はこのアルバムから、この結論に辿り着いてしまう。「本作で、やっと夢想世界を壊すのを見せてくれるか?」と思っていたら、あっさり彼はその数歩先に行っていた。悔しいやら、うならされるやら。当分付き合いは長くなりそう。
 
ドラムと声の《間》が中心か
[2002/10]

それにしても、FavのMaxwellの所では偉そうな事を書いているなぁ、、ホント。1度、掴めたと思ったアーティストに先に行かれたのは初の体験。かなり悔しい今日この頃。だから、必死に追いかけてみれば、やっと分りました。

中心は形として存在して無いけど、ドラムと声の間が中心だと思う。イメージ的に描くと、連星という感覚だなぁ、、、だから片方の星を追っかけても、チグハグという結論になりました。今まで、自分は基本的にR&Bはボーカルが中心に来ると思ってた。

声に拘ればR&Bにハマル
確かに、ビートからR&Bに入る道も有ると思うけど、自分はボーカルから入ったので。それと「光源は必ず一つ」と思っていた。それはグループでも。何個もあると思えるのは、反射であって、真の光源は一つだけだと。
この信念に理由は特にありません。ただ、単に自分がそう思っているだけで。もちろん、善悪二元論もあるのだから、常に二つ探しに行くのも全然ナイスだと思う。それは、最終的には人の物事の捉え方になるのだから。常に心の表と裏を見に行きたい人もいるだろうし、ホントの心情は一つと思う人もいるだろうしさ。

自分にとっては、「中心は一つであり、それは声が担う」 特にSingerタイプほど。自作自演タイプは、色んな所に仕掛けが出来るけど、Singerは声だけに立つしかないからさ。だからこそ、渡された曲に対して、歌手はアドリブ等によって、どれだけ自身のものにしていけるか?という過程を楽しんでいたので、、そんな前提があったからこそ、スカされたのかなぁ、、、

やっぱり、Maxwellは誰しもが認める自作自演だしね。その割にはプロデュース業が華やかじゃないけどね。そこら辺を彼がどう思っているのかは知りたかったりするが。あんまり他人の事に興味なさそうだからなぁ、、、Maxwellは。

自作自演の小世界とはいっても、このアルバムに仕掛けをしているという印象は無い。何より、1stの「茶目っ気」が見えないからかなぁ、、、聴くと混乱する事の多いアルバムだけど、頭の片方でドラムの音を抑えながら、もう片方で彼のボーカルを味わうと、良く見えてくると思う。彼自身も、核をドラムとボーカルの間に置こうとしているかのようで。

なるほどなぁ、、、と思う。分ってみれば、ベスト・アンサーかも。彼の内面世界があれ以上に深化しないとは思ってたし、リアルな世界に踏みだす必要性は思ってた。内面世界を構築しすぎて叫ぶなんてのは、そうそう何度も出来ないからなぁ、、、


自身のボーカルより、バックの音の方がリアル
lこんな対面的な世界を最初に作って、その上で音との距離感を調節してるのが、印象的。ナイスな現実への踏み出し方だと思います。4曲目とか、5曲目とか近寄ったり離れたりしてるもんなぁ、、ボーカルだけ見てると、左右に振られて混乱するけど、間の距離を見詰めていると、、「ああ、狭めたいのだなぁ、、」と見えてくる気がするや。

9曲目は一見今までの彼の世界観に近いのだが、怪しさがない。難解さが増したアルバムだと思うけど、深さは1番ある気もするや。けど、誰かに薦めれるアルバムじゃないような、、、Maxwellを追っかける意志がある人じゃないとねぇ。自分は本作で彼に対して追っかける意志が出た。

声も音もシンプルなのに、それらの間の遣り取りが複雑で、訳の分らないアルバムになってると思う。怒り合ってるTommy Simsの方が分り易かったなぁ、、ホント。けど10曲目を聞くと、お互いで慰め合ってる気もしてしまうなぁ、、ちょっと怖いぞw 「泣いたのに怒って、怒ったのに泣いて」の方が個人的に好きなんだが。

男が「泣いて泣いて」だったら、蹴り飛ばしたくなるのは俺だけか?
「貴方男でしょ」と文句をつけたくなるのは、相変わらずかもねぇ、、、それは変わらないか と、強引に一安心してる今日この頃です、ハイ。

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