Glenn Lewis
"World outside my Window"
ナイーブ派の入口としては最高です
[2002/04/16]

このアルバムジャケットとアルバムタイトルの時点で買い決定です。R&Bという分野では稀な手触りという事が一目瞭然。マッチョ思想からすれば、「ウジウジ男性扱い」されちまう程だから。アフリカン・アメリカンが置かれている境遇は昔に比べると変わってきていると思う。昔の内省派の歌手は黒人が置かれた状況に対して歌うことが多かったと思うけれど、現在はそこまで包括的に取り上げる訳じゃないのだと。だから、現在のアフリカン・アメリカンの内省派の男性が自身の志向性を最もストレートに素直に表現すれば、間違いなくこのジャケットとこのタイトルになるんじゃないかな。そう感じて買ったけど、そう言い切れるだけのアルバムだった。

このアルバムを追っかけて最終的に見えるのは「特筆すべきネガティブが無くなるにしたがって、平坦な息苦しさが積もってく」 それを最終的に受け入れてる視線。これが最大の理由だと思った。自身を見詰める視線に危険感が無い

確かにMaxwellもマクナイトもナイーブ系ではあるけれど、彼らには独自の色づけがある。その点でGlenn Lewisにはアクティブな色気が無い。そんな点ではHIT性は少ない思う。だから親和性が零の人が聴けば「詰まらない」という感想をあるでしょう。けど、この世界に興味が無い人でも、こっちの方向に幅を広げようと思うなら、このアルバムから入るのが1番だと思う。

外の景色と内の自身を重ねて映す、この窓ガラスのショットはナイス
彼の表情も文句無いしね。ハマルまでに時間がかかると思うけど、1度ハマッたら他じゃ代替できない静謐感がアルバム全体を包んでる。
「静謐感」の言葉の意味自体はフィーリングとして使っているだけだからちゃんとは言えません。一応の説明をすると、[静寂]の下位分類かな。静寂は肌に冷たい感覚だが、静謐の方は肌に暖かい感覚。古くからある土蔵の扉を何年ぶりかに開けたような・・・妙に親近感を覚えるような感覚です。
ここら辺の感覚は狙って出せるものじゃない。彼自身の魅力だと思うな。見開き裏のショットも「道路の水溜りに映り込んだ空」だしね。かなりジャケット・センスあります。

アルバム自体ももちろん通して楽しめる。楽曲の幅は狭いだが堕曲は少ない。前半部分で1番気に入ったのは"Something to See"です。この曲の存在で彼の独自性を認めれる。それだけのレベル。確かにMusiqには似てるのだが、彼はこのレベルは出せないと思うな。Musiqには売れる色気はあるのだが、1歩間違えたらノリになる。それがイイという意見もありそうだがけど。個人的には、このアルバム全体を包む低目のトーンの方がタマラナイ。

後半部分ではお気に入りの曲は、もちろん"Take Me"です。この曲のサビの部分の<Anywhere>というフレーズは、アルバム全体で見ても1番叩き込む力があると思う。「君が何処に行くのだとしても、一緒に僕を連れてって」かな。やっぱりR&Bだけでなく、内省派の中でも稀だと思うな。最高地点が此処というのは。自分自身じゃなくて、あくまで相手を見てるから。

これがGlenn Lewisの弱点でもあるし、そして優しさでもあると思う。
基本的に視線は誠実に直結しても優しさとはかなり背反だから。守るラインの多さは「優しさ」という言葉で表現できる面もあるけど、それはやっぱり誠実だと思うから。同じ内省派としてBrian Mcknightは誠実であっても優しくは無いからねぇ。

内省派の最高傑作でもあり、恋愛フェーズの最高傑作とも思っているのがStevie Wonderの[Innervisions]に納められた"All is Fair in Love"です。この曲については本HPでそこら中でコメントしているが、この曲にインスピュレーションを受けたと言われるなら、P2S2H2は黙っちゃいられません。その"It's Not Fair"だが、、、甘えてるね、Glenn Lewisは。

この曲からは「Stevie Wonder、貴方がどれだけAll is Fair In Loveと言ってくださっても、どうしても僕にはIt's Not Fairと思えるんです」という印象を受けるから。その思いは良く分る。だけど、歩みは足らない。

It's Not FairをFairに持っていくのがLoveなのだから
それが出来ないなら素直に"Like"と言った方がいい。世の中、Fairじゃないは当然だよ。恋愛というフェーズは一見、綺麗毎な目標を掲げている分だけ、現実との落差は激しい。やっぱり美男美女は得してる。そんな意味でStevie Wonderのレベルから見れば突き詰め感が甘い。って、そのレベルから見る事自体が滅多に無いのだから、もちろん貶している訳じゃないです。けど、いつかInnervisionsを超したアルバムを聴きたいとは思ってる。そして、やっぱりGlenn Lewisの今後に1番期待してるかも。本作はそれだけの作品です。


Stevie Wonderの[Innervisions]は草木も生えないような砂漠感に満ちている。感情を極限まで突き詰めたから、アルバムに納められたのはもう感情のレベルじゃない。あのアルバムの中で異性に捧げたのは、"Golden Lady"とA"ll is Fair in Love"だけど、相手の立場になったらどうしても「愛されてる」とは思えないだろう。自分が"Golden Lady"に感じるのは「祭り上げ」だもんなぁ。過去の超名作にこんなに言っていいのかしらんと思うが、やっぱり「祭り上げ」だよ。女性に捧げた曲だけど、恋愛のフェーズではないと思っちゃう。

このアルバムジャケットとタイトルの志向性も、実はもう1歩行けると思う。視線を突き詰めて、「危険さ&色気のレベル」まで到達してないと思うから。

《夜に部屋に電気をつければ、窓ガラスは鏡となって自身を映し、外からは中がありありと見える》
それと同様に
《自身の奥深くに釣瓶を垂らせば、ドンドン壁は自身を映すし、外からは照らされたように見える》 

そんなフェーズの曲がない。そんなフェーズのショットがない。自身の内部を突き詰めることで自身を映し出すような色気の点ではMaxwellの方が上手だと思う。

だから聴き始めは少しネガティブに思ってた。けど、最近はもっともっとハマっている。内省かつナイーブ派なんてのは、「大人しい」「気むづかしい」「難しい話しばっかりする」ってなモンで、かなり最初の内はマイナス・ポイント。かなりやらないと恋愛じゃ使えない。突き詰めれば突き詰めるほど、最初の非力さからは想像つかない位の力が手に入るけど、その地点はもう恋愛じゃないとは思ってた。どうしたって、良く言って「危険」、悪く言えば「妖気」の層をくぐらないとStevie Wonderのレベルまでは行かないから。そして、この層をくぐる時点で恋愛感なんて吹っ飛んで行くから。

そんな意味では、彼の立っている場所は凄くイイと思う。
彼のもつ視線のレベルが恋愛相手において1番意味を持つ場所だと。そんな意味で、このアルバムからは色々と教えられてます。最近の解答としては、「1度Stevie Wonderのレベルまで行った後に、Glen Lewisの立っている場所に戻ってくる」。それが一番相手に優しいんじゃないかな。

彼のアルバムは《深みの青》が支配して、Stevie Wonderのアルバムは《砂漠の黄色》が支配しているのだから、あの地点の先に、水を見つける事。それがInnervisonsの先にある場所だと思った。確かにあの言葉は完璧な解答なのだが、そこに相手の居場所は無い。だからそこから戻ってこなくちゃいけないんだと。

Stevie Wonder自身がこのアルバムをどう思っているのか、凄く興味があります。
アルバム点数はこちら


HOME