D'Angelo
"Brown Sugar"
新たな反抗というべきか
[2003/05/11]

鈴木啓志氏の「新版 R&Bソウルの世界」を読んで一番思ったのはD'Angeloに対する記述だった。それ以前に哲章さんのD'Angelo評を読んでいたのもあって、その取り扱いの大きさの違いにかなり驚いたから。Timbaland達がAALIYAHの2作目を発表したときも、その独特の音に対する軋轢が持ち上がったというけれど、D'AngeloがR&B全体に与えたショックはそれ以上だったと思う。

その結果として日本のR&Bリスナーも断絶した気もするんだよね。D'Angelo、Timbalandの作り出した新しい波にいち早く乗ったからこそ、PhatSoulがあるんだろうなぁ、、、と感じてた。もちろん自分はそんな意味では波に乗れなかったです。本を読んでるときから、「D'Angeloは合わないだろうなぁ」と思ったし、買って聴いてやっぱりそうだったから。逆に啓志氏が一切コメントしてないマクナイトにはずっとハマっていたから、自分の立っている場所は中途半端なんだなぁ、、って あの頃しきりに感じてた。。

もちろん結果は、D'AngeloやTimbalandの方になったし、数年たってシーン全体が完全に染まったのはご承知の通り。他のアーティスト、プロデューサーが再生産することで、馴染みやすくなってきた面も大きい。けど、やっぱりD'Angeloの与えたショックの方が大きいと思うんだよね。よく「独特の浮遊感」といわれるが、個人的にD'Angeloの凄さは向き合う姿勢だと思う。ニュークラシックソウルとして一くくりにされる中には、D'Angelo、Maxwell、Rhassan Patterson、Soloなどがいるが、D'Angeloだけは異質だと思う。だから一番D'Angeloに近いと感じるのは、02年に処女作を発表したDonnieじゃないかな。何が一番似ているって、

確信犯
なんだよね。二人とも自分自身のスタンスが周囲に引き起こす様々な軋轢を分かって選んでいると思うから。その時点で、「アホが泣き叫ぶの大好き」なP2S2H2としては合いませんw 自身の能力を見切って、売れない作品になってもレーベルは切れないだろうことも見越して、レーベルと、リスナーと、そして現在のアフリカンアメリカン全体を秤にかけるような作品を作ってくる。そんな姿は確かに凄いと思う。確かに、R&BそしてSoulの新しい波はやっぱり教会と畑から生まれると思うんだよね。都会のGhettoが生み出すのは、今の純化だと思うから。今のR&Bを引っ張っていってると感じるJaheimとTyreseだけど、作品を重ねる毎に選択肢の幅が狭くなっている気がするから。特にTyreseには・・・Ghetto Girlなんてタイトルの曲を出した時点で、「ああ、もうギリギリなんだなぁ」って思ってしまった。
そんな意味で、D'Angeloが何をしたいかが一番味わえるのは、確かにアルバムタイトル曲でもあるBrown Sugarだと思う。この曲を聴いて端的に思うのは、

視線をそのままに保ちながら、頭をどんどん緩くしていくこと
はしゃいでいる訳じゃないんだよね。酒飲んでの馬鹿騒ぎとは正反対。そんな意味ではビデオクリップのように煙をくもらせる姿がよく似合ってる。普通は頭を緩めるごとに視線も緩くなるのにね。ある意味、「出来る男」だからこそ可能なスタイルであって、俺っちには完全無理なのはよく分かる。こんなんなら「ふーじこちゃん」「るぱーん」とかアホこいてる方がいいぞw (おいおい

突き詰めていけば、このアルバムでD'Angeloは新たな反抗を模索していると思う。けど、正面から反抗する時代は70年代とともに終わってしまったと思うんだよネ。反抗さえも色あせた状態にしていくのが現代社会の特徴であって、若者に老成を強いるというのはやぱり正しいと思うから。彼が反抗したがっているのは、この緩まない視線が示していると思う。けど正面からしたくないのが、頭を緩ませるところに出ているんじゃないかな。そんな意味では、まだDonnieの方が正面から取り上げていると思うや。

店の入口で混雑してる奴らをすかしながら歩き抜いて、奥のスペースに行こうとしてる
それがD'Angeloのスタイルだと思う。そんなリズム。そんなトーン。そんな光景。グラスを持つ手を上に、くねらせながら人ごみの中をあるく姿が浮かんでくるから。きっと彼が正面から取り上げてしまえば、

「王様は裸だ」
になると思うのだけど、それはさすがのD'Angeloでも言えないのだろう。だから、こんな手の込んだことをやっている。それが5曲目までガンガンに続くんだよネ。けど、やっぱりそれで一作持つ訳ではない。だから6曲目の中で変換しようとしていて、それから先は奥のスペースでやりたいことを見せていると思う。そんな意味では1曲目が合わない人は7曲目から聴けばいいんじゃないかな。そこまで断絶も感じなく浸れると思うから。特にこの曲、やたらに素直なんだよネ。俺っちのようにD'Angeloに怖がってる人は絶対にこの曲から聴きましょう。「なーんだ」って思うこと間違い無しです。 D'Angeloのノリで、ストレートなのが8:When We Getだと思う。コムヅカシクなくてシンプルに楽しい曲だしね。

そんな意味では、最初の5曲に集めてきているから、こちらは必死についていっても振り切られてた。けど、後ろから聴けばあっさりじゃんって思う。これらの曲を適度に混ぜればもっと聴きやすいアルバムになるのに、それを前半部分に固める点が、やっぱりD'Angeloがしたかったことだと思う。

D'Angeloがアーティスト・アーティストである理由は、皆がうすうす気づきながらも見ないフリをするか/逆に過去の作品に潜っている中で、あっさり「王様は裸だ」と言い切ったその豪気とも思える勇気なんじゃないかな。けど教会で育った彼は、黒人コミュニティーの形骸化を一番肌で感じる場所にいたとも思う。だから彼にとっては「言わなくちゃいけないこと」なのだと思うし、それはやっぱりこの形までもってかないと言えなかったことだと思う。そこまで気づいて、やっとこのアルバムに浸れるようになった。

やっぱり本アルバムの中心であるBrown Sugarは通常からはみ出したFeelingなんだよね。腰のフリが一番イケテル娘に狙いを定めるぐらいのノリなのに、下品さがゼロだと感じる。それはやっぱり思想の裏打ちがあるからだと思う。彼の視線は正確で揺るぎないけど、やっぱりまだそれは現実じゃないし、本作の発売からもう7年目たったけど、状況は変わってないと思うや。おまんまも おまん○もなければ、他の男どもは乗らない。というより乗れないというべきか。それが事実の気がしてしまったぞw

そんな現実を味わって、D'Angeloが独り突っ走ったのが2作目のVooDooだとは思う。あの作品はA+に輝いていることもあって、必死に追いかけて「90年代の問題作」にUPしたけど、やっぱりまだまだです。
素直に言えば、「言葉が降りてきて、自分自身を素通りしてしまった」初めての経験だった。

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